ほんとうに、タクシードライバーは見下されているのか?
アニメ『オッドタクシー』の中で、忘れられないセリフがある。
マナー? あんたさぞかし立派なんだな。お客様は神様ってか?見下してんだろタクシードライバー
忘れられないのは、この小戸川のセリフに心当たりがあるから。
ここは正直に、思い至る理由を3つ挙げる。
- タクシーはマナー悪い(特に個人タクシー)
- バチェロレッテの参加者
- タクシー関連作品
タクシーはマナー悪い(特に個人タクシー)
個人的な感想
普段、自転車で移動をする。歩道がよほど広くない限り、車道を走る。
そうすると、接触しかけるのが左車線を走るタクシー。
身の危険を感じるシーンなので、いちいちカウントしているわけではないが、体感的にぶつかけるタクシーは決まって車体の上には「個人」の文字が。
他にも、横断歩道を渡るとき、歩行者を待たずに右折してくるのが多いのも個人タクシー。
これは決め打ち的な推論だが、個人タクシーには「困るのは自分だけ」という意識があるからではないだろうか。
タクシー会社に雇われているドライバーであれば、マナーが悪い場合会社に連絡が入る可能性がある。客からのクレームが続くようであれば、最悪クビを切られる恐れもある。
その点、個人タクシーの雇い主は自分。基本的に、客とは一期一会の世界では、クレームが入っても事業にはダメージはない。
だが調べてみると、個人タクシーになるには以下の条件を満たす必要がある。
- タクシー等の乗務経験が10年以上
- 3年間無事故無違反
乗務経験の長さがマナーの良さの直接的な根拠になるわけではないが、マナーが悪すぎてすぐにクビになってしまうドライバーは個人タクシーを名乗ることはできない。
ただ、「一度個人タクシーとなってしまえばこっちのモノ」という解釈もできなくはない。
バチェロレッテの参加者
Amazon制作の恋愛リアリティ番組『バチェロレッテ』に、タクシードライバーと名乗る参加者がいた。
実際、彼がタクシードライバーを本業にしているかは不明だが、いわゆる”三高”が求められる中で「職業・タクシードライバー」の参加者を見て、不釣り合いだと考えてしまった。
それは紛れもなく、タクシードライバーを「所得が低い・社会的信頼が低い・将来性がない(出世期待が低い)」という”三低”であるという考えを持っていたからだということを白状したい。
タクシー関連作品
3つ目の根拠は、これまでタクシードライバーは見下される立場の人たちであるという描かれ方をしている作品の影響。
『オッドタクシー』以外には、『タクシードライバー』と『パラサイト』。
ロバート・デニーロ主演の『タクシードライバー』は、タクシードライバーが社会的地位の低い存在であるというイメージに加えて、精神的に問題を抱えている人たちというネガティブなイメージを植え付けられた。
『オッドタクシー』でもそうだったが、タクシードライバーをメインで描いた作品は暗闇が多い。まさにこのデフォルト設定も、タクシードライバーは日陰の存在であるというステレオタイプを表象していると言えるだろう。
もう一作は、アジア初のアカデミー賞作品賞を獲得した『パラサイト』。
作中の冒頭で、「タクシードライバーの応募には、大卒を含めて募集が殺到する」というようなセリフを主人公の父親が語るシーンがあった。
息子を足掛かりに、一家全員がパラサイトしていく中で、父親は旦那様の運転手を務める。
ある時、社内にためる運転手の”匂い”を指摘するシーンは印象的で、韓国の経済格差を知らない日本人には、「貧乏は匂いにも表れるんだな」というイメージを受け付けている。
タクシードライバーに対する偏見
ここまで、タクシードライバーの社会的地位が低い事例を並べた。
しかし、それらはやや(かなり?)主観にまみれたものばかりで、タクシードライバーの実態を表すものではない。
先日コロナにかかり、ホテル療養をすることになった。その際、市から委託を受け送迎を担当してくれたタクシードライバーはとても丁寧に対応をしてくれた。
「車内の温度はいかがですか?」「気持ちが悪くなったら、そちらのバッグを使ってくださいね」などきめ細かな対応に、危険を冒してコロナ患者を送迎する姿に感銘を受けた。
また、「タクシードライバー=職に就けない人たちの行く末」というイメージは、社会的に払拭されている。
出世や高所得に興味はなく、ライフワークバランスを重視したいから、タクシードライバーを選ぶ若者も結構いるという話も聞く。
どの世界でもそうだが、マナーの良し悪しは会社やドライバーによる。
これで締めるのは芸がないので最後に、今後タクシードライバーのマナーが向上するかもしれないという根拠を述べようと思う。
タクシードライバーの将来展望
タクシー業界は、コロナや近年のIT化で激変した業界の一つ。
「タクシーを呼ぶ=タクシーアプリを使う」というのはスタンダードになりつつある。
今後IT化の加速とともに、タクシードライバーには以下のような変化が起こると考える。
- 会話の減少
- 品質の見える化
- ウーバーの存在
会話の減少
タクシーを利用した際、ドライバーと話す内容としては、
- 行き先
- ルート
- 支払い
今は、配車アプリを利用する際、「行き先」「支払い」は既に完了した状態で、乗り込むことになる。
写真は、タクシーGOのAI予約画面。
つまり、特別ルートを指定しない限りドライバーと話す必要がない。
運転手と一番トラブルが起こる会話というのは、IT化でますます減っていくことになる。
品質の見える化
写真のように、配車アプリにはタクシー会社を指定することができる。
今は、タクシー会社ごとに口コミ・レビュー機能はない。これは恐らく、タクシー会社への配慮だろう。あまりに見える化してしまったら、利用されるタクシー会社に差が出るからだ。
だが、時代の流れを考えると口コミ至上主義はますます顕著になっていくだろう。
★で評価されるようになったら、「会社に怒られないから大丈夫」と考えている個人タクシーは改めなければいけないだろう。それが、業界全体のサービス品質の向上につながるかもしれない。
ウーバーの存在
タクシーの最大の競合は、配車サービスUber。
ただ、日本の文化との相性の悪く浸透には時間がかかる、もしくは全く流行らない状態が続くと考える。
安さよりも安全を重視する日本人の気質と、なによりタクシー業界を守ろうとする公的な力が大きい。
ただ、利便性ではタクシーを圧倒する。また、価格競争となったら、タクシーに勝機はない。
現実味は薄いが、自分たちを脅かす存在を意識し、是非ともドライバーの皆さんにはサービスの担い手であるという意識を持ってもらいたいものだ。
まとめ
昔ほど、「運ちゃん」と呼ぶ人も少なくなってきた。
それは、社会全体のコンプライアンス意識の高まりと多様性が根付いている証かもしれない。
それに、度重なる行動自粛で地獄を見た”まともな”ドライバーであれば、客がいることに感謝し、日々サービス品質向上に努めるはず。
とは言え、そうしたありがたみは風化していくものだから、やはりウーバーなどの目に見える他者に仕事を奪われる時代が来ない限り、マナーの良いドライバーは良い、悪い奴は悪いという今の状況は変わらないだろう。