テーゼとは?アニメと絡めてわかりやすく紹介
「30年間で最も歌われたカラオケソング」で一位に輝いた名曲。
タイトルにもある「テーゼ」。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」というテーゼ
映画『鬼滅の刃』のヒットは自己責任社会へのアンチテーゼだ!
意味はよく分からないけど、インテリぽさを感じてしまう「テーゼ」「アンチテーゼ」。
「テーゼの反対がアンチテーゼなんだろうな~」ぐらいは分かるけど、自分で使うなんて恐れ多い。
今回は、インテリレベルを上げるべく「テーゼ」「アンチテーゼ」をちゃんと学んでみようと思う。
テーゼとは
まずは、辞書的な意味から。
ある観念をまとめて表現・主張する文章。定立あるいは措定(そてい)ともいう。定立に対立するのがアンチテーゼAntithese(ドイツ語。反定立)で、特定の肯定的主張に対応する否定的主張をいう。両方の矛盾・対立が統一された状態をジンテーゼSynthese(ドイツ語。総合)という。カントの二律背反では、同等の権利をもって語ることのできる、世界についての根本主張の最初の肯定的なほう、たとえば「自由は存在する」が定立であり、反定立は「自由は存在しない」である。フィヒテは、自我と非我の対立を、両者をともに可能にする第三者の内に総合する立場を、「定立―反定立―総合」と定式化した。
出たよ。。。
学びの意欲を奪うお堅い解説
読む気になれないので、複数のサイトから解説を取ってきた。
しっくり来るものをお選びください。
- 観念をまとめて、主張する文章
- あることをまたは、あるものの真理性を肯定的に主張すること
- 「〇〇は□□□□だ」と言葉にすることで、それがどんな物かを肯定的に判断する主張のこと
- ある問題について提出された命題
- ある事柄を肯定的に主張すること
自分的には、
テーゼとは「●●は■■■■だ。の形の、正しいと言えそうな主張」。
なんか回りくどい気がするな・・・。
まあ、とりあえず「何かを正しいと言いたいんだな~」ぐらいのイメージだけ押さえておけばOK!
テーゼの語源
テーゼは元々、ドイツ語の”these”。
意味は、「主張」「命題」とか。
弁証法とは、「世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則」。
平たく言えば、「どんなことも、このやり方使えば理解できるんじゃね?」。
起源は、古代ギリシアまでさかのぼる(ソクラテスやアリストテレス)。
ヘーゲルは18世紀~19世紀に生きた人。
彼は、「物事を理解するためには、分かりやすい前提が必要だよね?」と思い至る。
そこで編み出されたのが3つの命題。
順番としては、
- 「これ正しいんじゃね?」と言えそうな物事を見つける
- 「いや、間違いじゃね?」と言えそうな根拠を見つける
- 「最終的に、こう言えるんじゃね?」な結論を出す
弁証法が目指すゴールは、「白か黒か」な絶対的な真理ではなくて、「白でもあるし、黒でもあるし」な真実。
最近では、ひろゆきを筆頭に「論破」がブームとなっている。
あれは、「白か黒か」ハッキリした答えに行き着く痛快さがある。
当然、強者が弱者をコテンパにするという「イジメの傍観者」的な魅力もあるんだろうけど。
でも、哲学者は「白か黒かハッキリさせられないのが、世の中だよね」というスタンスを持っている。
だからと言って、何もしないで「ハッキリしません!」と言うのはダサい。
どうすれば、それっぽい答え(真実)にたどり着けるか?と考えてたどり着いたのが「弁証法」。
主張で良くね?
テーゼの語源に戻ると、テーゼは「主張」と訳される。
じゃあ、テーゼなんて使わずに、「単に主張で良くね?」と思ってしまうのは僕だけだろうか?
だが、哲学者さんたちからは、「テーゼは単なる主張ではない!」とお怒りの声が聞こえてくる。
では、どの辺が特別な主張なのか?
例えば、初対面の会話。
A「初めまして、山田と申します」
B「初めまして、佐藤と申します」
A「佐藤さんは、どちらのご出身ですか?」
B「生まれは、東京です」
A「東京は住みやすいですよね」
B「そうですか?人も多いし、住みにくいと感じることもありますよ(笑)。Aさんはどちらのご出身ですか?」
A「私は、沖縄出身です」
この会話には、3種類の主張が存在する。
- 名前についての主張(「私は、山田である」「私は、佐藤である」)
- 出身についての主張(「私の出身は、東京である」「私の出身は、沖縄である」)
- 東京についての主張(「東京は住みやすい」「東京は住みにくさ面もある」)
その中で、特別な主張は何か?
東京についての主張。
もっと言うなら、Aさんが言った「東京は住みやすいですよね」。
名前や出身についての主張は、賛成/反対の意見が割れることがない。
「あなたは、どうして山田なんですか?」と聞かれることがないように。
しかし、東京についての主張は、賛成/反対のポジションが発生する。
事実、ここではAさんが賛成派、Bさんは反対派に分かれている。
つまり、特別な主張(テーゼ)とは「議論に繋がる主張」と定義できそう。
日本人が使う「テーゼ」「アンチテーゼ」
日本人は、アンチテーゼ単体で使うことが多い。
意味としては、「反対意見」や「反発」ぐらい。
例えば、冒頭にも挙げた「映画『鬼滅の刃』のヒットは自己責任社会へのアンチテーゼだ!」。
この記事内では、「アンチテーゼ」は見当たるが、「テーゼ」は見当たらない。
この社会現象は自己責任社会に対するアンチテーゼだということです
人々の自己責任論に対する、強烈な反発やアンチテーゼに僕には映ったんです。
すなわち、自己責任社会に対するアンチテーゼ。
出典:映画『鬼滅の刃』のヒットは自己責任社会へのアンチテーゼだ! | Akira Kusaka Studio
見て分かるように、「アンチテーゼ」はいずれも「●●に対する」とセットで使われている。
「●●に対する」の「●●」がテーゼ部分。
「社会は自己責任で片付けられる」や「今の日本では、自己責任論が力を持っている」など、「テーゼ」はわざわざ明記されない。
つまり、この記事の主張は「鬼滅の刃がヒットしたのは、自己責任で片付けられる社会に嫌気を指す人たちがたくさんいてその人たちに強烈に刺さったから。」になるだろうか。
テーゼ×アニメ
では、冒頭に取り上げた『残酷な天使のテーゼ』について考えてみようと思う。
まずは、結論から。
「残酷な天使のテーゼ」とは、「子供が母親に贈る特別な主張」。
歌詞を書いた及川眠子さんは、自身の著書で以下のように記している。
この詞は、母親もしくは年上の女の目線から描いた物語。生まれたばかりの子供あるいは若い男を天使にたとえ、彼に対する思いや自らの心象風景を綴ったものである。今はそばで眠っていても、彼はいつかきっと自分の手元から去って行く。未来を目指して、何のためらいも残さずに……。いたいけな天使は胸に溢れんばかりの幸福感を与えてくれるとともに、残酷でもあるということを定義(テーゼ)として捉えた、そんな詞だ。(中略)「坊や大きくならないで」というようなことを、レトリックを駆使して表現したものではあるのが……。
引用:及川 眠子『破婚―18歳年下のトルコ人亭主と過ごした13年間』(5頁)
この歌詞は、母親視点の物語。
母親の感情の推移としては、
- めっちゃ可愛い「世界中の時を止めて閉じ込めたい」
- めっちゃ悲しい「悲しみがそしてはじまる」
- めっちゃ応援してる「少年よ神話になれ」
このように心境に変化があるのは、子どもの視線の移り変わるから。
- 「私だけをただ見つめて微笑んでるあなた」
- 「あなただけが夢の使者に呼ばれる朝がくる」
- 「その夢に目覚めた時」
つまり、以下のような「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」を見いだせるのではないか。
- 子どもは、いつか親の元を離れていく(テーゼ)
- 子どもが離れていくことは悲しみを伴う(アンチテーゼ)
- 成長して親のもとを離れることは素晴らしいこと(ジンテーゼ)
要は、テーゼとは?
今回学んだことをおさらい。
- テーゼとは、「正しいと言えそうな議論の価値がある主張」
- よく見かけるのは、「反対意見」や「反発」を意味する「アンチテーゼ」
どの作品にも、「言いたいこと=たどり着いた答え」がある。
ぼーっと見るのも良いけど、「テーゼ」「アンチテーゼ」「ジンテーゼ」を意識しながら、見るとより楽しめるかもしれない。