サブカルとは?アニメと絡めてわかりやすく紹介
周南で「萌えサミット11」 サブカル愛好家など約1万人でにぎわう
出典:ヤフーニュース
マンガ、アニメ、アート、ゲーム、コスプレなど、サブカルの発信地として注目を集める池袋は、Z世代を中心に新しい文化とコミュニティが日々生まれています。
出典:PR TIMES
アニメとセットで使われることが多い「サブカル」。
「サブカルチャー」の略だとは分かるが、改めて意味を尋ねられるとちょっと...。
そこで今回は、サブカルという言葉をアニメに絡めて理解してみようと思う。
サブカルとは
まずは、辞書的な定義から。
サブカルチャー(英: subculture)とは、メインカルチャーと対比される概念である。1960年代から70年代前半までは反体制的なカウンターカルチャーが主流だったが、70年代後半以降、形骸化・商業主義化し、サブカルチャーに変質していったとの見方もある[1]。サブカルチャーは「サブカル」と略されることも多い。
出典:Wikipedia
サブがあるところに、メインあり。
いや、待て。
何を持って「メイン」「サブ」って決めるわけ?
メインとサブ
普段は信用していない「ニコニコ大百科」だが、説明が分かりやすいので今回ばかりは引用させていただく。
サブカルチャーを正確に定義すると非常にややこしくなる。例えば今日の日本において社会の至る所で何らかの形で見受けられる (そして時の政府や行政が観光資源として注視していた) 漫画やアニメを日本の「主流文化」でないと言うことは大分において苦しいが、しかしながら慣用的には現在もサブカルチャーとして扱われている。
出典:ニコニコ大百科
つまり、明確に「今はこれとこれがメイン、あれとあれがサブ」と明確な線引きがあるわけではない。
より多くの人に愛されている文化を「メイン」、一部の人のみに支持されている文化を「サブ」という訳でもないらしい。
どちらかと言うと、政治家を始めとした一部のエリート層が考える「高尚な」文化が「メイン」、「俗的な」文化を「サブ」としている感がある。
「高尚な」文化を挙げると、能や歌舞伎などの伝統芸能、俳句や純文学などの教養文化。
歴史があって、外(海外)にも胸を張って「これが日本文化だ」と呼べそうな健全なものを「メインカルチャー」と呼んでいる感じ。
アニメや漫画が社会現象になるようになっても、歴史を重んじる文化人には「アニメや漫画は、俗的なもの」みたいな偏見があるのは確か。
簡単にまとめるなら、
- 「メイン」「サブ」と区別することに意味はない
- どの時代も序列をつけたい人は一定数いるから、好きに言わせておけば良い。
となるだろうか。
アニメ×サブカル
もう少しクローズな話題に移ろう。
ネット民の一部では、「サブカルアニメ」と呼ぶことがある。
調べてみたが、「サブカル」同様ハッキリとした定義はないようだ。
では、どういった作品を指すのだろうか?
複数のサイトを覗くと、以下の作品がよく名前が挙げられる。
- 『パプリカ』
- 『輪るピングドラム』
- 『四畳半神話大系』
- 『モノノ怪』
- 『BANANA FISH』
なるほど、何となく見えてきた。
「サブカルアニメ」と似た言葉に「質アニメ」がある。
上の記事では、「質アニメ」を以下のように定義している。
- 派手さはない
- オリジナリティがある
- 普遍的なテーマがある
- 「ストーリー」「作画」「キャラ」「音楽」「声優」いずれもレベルが高い
- 万人ウケはしないが、一部で根強い人気がある
特に「万人ウケはしないが、一部で根強い人気がある」という点が「サブカルアニメ」では重要な要素のように感じる。
サブカルアニメ
では、「サブカルアニメ」として言及されている『四畳半神話大系』を例にとってみよう。
2010年には『ノイタミナ』にて放送された。
四畳半で広がる妄想キャンパスライフ。
平凡な大学生のパラレルな学生生活を「私」という独自の語り口調とシュールな笑いを描く。
この作品の、どの辺が「サブカルアニメ」なのか。
以下の3つの観点から考察してみようと思う。
- 閉じられた世界
- ミステリアスな登場人物
- 独特なセリフ回し
閉じられた世界
公式による言及はないが、京大を舞台としていることは明らか。
なぜ、京大を舞台としているのか。
当然、原作者の母校であることもある。
しかし、それ以上に京大が「特殊な文化を持った空間」だからと考える。
また、この作品には「大人」が出てこない。
ここで言う「大人」とは、学生に対する社会人。
登場人物は、全て”わたし”と同じ大学に通う学生たち。
大学を舞台にしているのだから、ゼミの先生や教員の一人ぐらい出てきても良いところ。
この「大人の不在」という設定には、京大という特殊な文化が投影されていると考える。
令和の時代、ストライキが起こる大学は京大くらいではないだろうか。
大学構内には、学校運営への提言、学生の権利を守ろうとする立て看板が並ぶ。
サブカルの起源は「メジャーカルチャーへの反発」。
「大人が存在しない」設定には、社会に対する反体制的なメッセージを感じる。
そして、それは「サブカル」の観念と共通していると感じる。
ミステリアスな登場人物
この作品に登場するキャラは、どいつもこいつも掴み切れない。
乱暴に言えば、変人しか出てこない。
その証拠に主要キャラ全てが、分かりやすい特徴を持っている。
- わたし・・・四畳半至上主義者
- 小津・・・妖怪のような見た目
- 明石さん・・・普段は冷静だが、蛾を前にすると「ぎょええええ」と悲鳴を上げて取り乱す
- 樋口師匠・・・自身を「神」と名乗る
- 城ケ崎先輩・・・ラブドールの愛好家
そりゃこんな連中とつるんでいたら、「バラ色のキャンパスライフ」なんて送れないよとツッコみたくなる。
視点を変えれば、この作品は「1軍」になれない人たちが主役の物語。
それを裏付けるかのように、第1話は花火を楽しむリア充たちに花火を打ち込むシーンから始まる。
やあやあ、我こそは恋の邪魔者!浮かれた諸君に向けて天誅を下す!
「幸せそうな人たちを見て自分たちも幸せを感じる」のがメジャーカルチャー的メンタリティとするなら、「幸せそうな人たちが不幸になる瞬間を見て幸せを感じる」のがサブカルチャー的思考。
まさに、この作品は小津によって脱線していく”わたし”と彼らの犠牲となるリア充が見どころ。
独特なセリフ回し
森見登美彦作品の魅力と言えば、独特なセリフ回し。
最も発話量が多く、ナレーション的な役割を担う”わたし”は、典型的なキャラクター。
2022年9月に公開された『』の冒頭2分を見れば、言わんとしていることがお分かりいただけるだろう。
ここに断言する。いまだかつて有意義な夏を過ごしたことがない、と。(以下略)
「これこれ!」と言いたくなる、息をつく暇もない長セリフ。
ただ長いだけではない。
確かに文学的な香りが漂ってくる。
いや、単にふざけているだけのようにも思える。
いざ書き起こしてみると分かるが、深い意味はない。
そんな風に言うと、「もっと高尚だ」などとお叱りの声が上がりそうだが・・・
「単純なことをそれっぽく言いたい」という点では、両者に違いはない。
言葉とは概念をカタチにしたもの。
一般的に正しいとされている概念や言葉、表現方法に従わない。
この作品が「サブカルアニメ」と呼ばれる所以は、こうした特徴があるためではないだだろうか。
要は、サブカルとは
今回の学びをおさらい。
- サブカルとは、「とある社会の主流から外れた文化のこと」。
- 「メイン」「サブ」を明確に線引きすることはできない。
- 区別する背景には、支配層の「知的エリートとしてのプライドを守りたい」、オタクなどの「世間一般と一緒にされたなくない」というメンタリティがある。
おすすめのサブカル的アニメ作品
パプリカ
今敏監督による劇場用アニメ映画。
原作は筒井康隆が1993年に発表した長編SF小説『パプリカ』。
他人と夢を共有できる画期的な装置の発明を巡って、悪夢を見させる夢のテロリストと、夢探偵「パプリカ」の戦いを描く。
「第25回ポルト国際映画祭Critics' Award受賞」など、国内外で高い評価を受ける名作。
【今なら31日間無料】『パプリカ』観るなら<U-NEXT>
輪るピングドラム
『少女革命ウテナ』の幾原邦彦が監督・脚本を担当するオリジナル・アニメ作品。
2011年にテレビアニメが放送、2022年に劇場版(前後編2作)が公開された。
キャッチコピーは「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」、「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」。
「何者にもなれない」には、「生存戦略」や「デスティニー(運命)」とともに作中キャラクター達によって度々言及されている。
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モノノ怪
2007年にフジテレビ系列のノイタミナ枠で放送され、いまなお根強い人気を誇るホラーアニメ。
人が持つ複雑な感情を独特な美術表現で魅せる一作。