「2次元キャラを愛してる」って、そんなに問題か?
LGBT、パンセクシュアル、スコリオセクシュアル、アブロセクシュアル・・・
多様性の時代。
性的対象を区別するために、いろいろな用語が生まれる。
そうした動きは、「健全者」が安心したいという心理によるものではないか、と常々考えてる。
健全者とは、「3次元に生きる相互に恋愛対象を確認できる相手を恋愛対象にしている人たち」のこと。
つまり、「●●が好きな奴らは、今日から△△と呼ぶことにしよう。まったく、どうして普通でいられないんだ。俺たちは普通で良かった。」的な発想から、セクシャルマイノリティを指すラベルが増えるのではないか。
だが、アニメなどではそういったキャラや設定があったりするので、全くの無関心でいるわけにもいかない。
そこで今回は、アニメ好きに関係ありそうな用語と特徴を抑えたうえで、「ラベリング文化」についての考えを示そうと思う。
アニメ好きと恋愛
アニメ好きが該当しそうなセクシャルマイノリティに、以下の4つが挙げられる。
- ピグマリオンコンプレックス
- アガルマトフィリア
- フィクトセクシャル
- キャラ推し
境界線があいまいなこれらを、縦軸に次元、横軸に広さで分類するとこんな感じ。
※単に色分けをしただけで、塗りつぶした色に意味はありません。
それぞれの特徴と代表キャラを挙げてみる。
ピグマリオンコンプレックス
まずは、辞書的な定義から。
ピグマリオンコンプレックスは、狭義には人形偏愛症(人形愛)を意味する用語。心のない対象である「人形」を愛するディスコミュニケーションの一種とされるが、より広義では女性を人形のように扱う性癖も意味する。
出典:Wikipedia
古くは、ギリシャ神話に登場するキュプロスの王であるピュグマリオンが、自ら彫り上げた象牙の人形を溺愛し、彼は人形の命をアフロディテからもらうという逸話が語源とされている。
代表的なキャラ
『四畳半神話大系』に登場する城ケ崎は、「カオリ」というドールを愛でるという性癖を持っている。
彼は、映画サークルではカリスマ的なリーダーを務め、異性からも広くモテる。
現実でも、「成功者」と呼ばれる人は変わった性癖を持っているというケースはよく耳にする。
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アガルマトフィリア
アメリカの大手心理学サイト"Psychology Today"では、アガルマトフィリアを次のように定義している。
個人が(通常は裸の)彫像、人形、マネキン、および/または他の同様の体の形をした物体への魅力から性的興奮を引き出す性的パラフィリア
(原文:sexual paraphilia in which individuals derive sexual arousal from an attraction to (usually nude) statues, dolls, mannequins and/or other similar body shaped objects.)
出典:Psychology Today
「モノを愛する」という広義的な意味を持つ「ピグマリオンコンプレックス」に比べて、「アガルマトフィリア」は、「心を持たない物体を性的な対象とする」という限定的な意味合いを持つ。
代表的なキャラ
『イブの時間』では、アンドロイドと性的な関係をもつ人間が登場する。
肉体的にも、精神的にも、アンドロイドに依存する人たちは、作中では「ドリ系」と呼ばれ社会問題として取り上げられている。
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フィクトセクシャル
フィクトセクシュアルとは、つくられたキャラクターに性的魅力を感じることを指す。
「初音ミクは楽器」で合っています。法的に冷静な解釈をするまでもなく、初音ミクは物であり、人権も有していません。マンガやアニメやゲームも物ですし、ぬいぐるみも人形も物です。しかし、物を好きになる事、物に救われる事、物が生きる理由になる事があるのは、別に何もおかしくないと思います。
— 近藤 顕彦【⋈🗻🌰】ミクさん大好き (@akihikokondosk) 2020年5月21日
2次元を愛する人を否定する人は、「現実とフィクション(作り物)の区別がついていないから駄目だ」という論理をかざす。
だが、上に挙げた方のように、「自分が愛しているのは作り物であり、キャラクターである」ことを認識できている人もいる。
いやむしろ、最近増えていると言われる「3次元に魅力を感じないから恋愛できない」人たちは、「自分が理想に掲げているのは2次元キャラである」ことを理解している。
キャラ推し
キャラ推しは、「漫画やアニメのお気に入りキャラ(次元は問わない)」もしくは、「お気に入りのキャラがいる状態」を指す。
LINEが2021年に高校生を対象に行った「推しに関する調査」では、「いま推しがいる、また過去に推しがいたことのある高校生」は、総じてアニメと漫画のキャラクターを推している割合が高い。
また、「アニメの登場人物・キャラクター」は、男女ともに4割超で1位。高校生のアニメ好きがうかがえる。
どれくらい「推し」ているのかは、個人差がある。
「四六時中、そのキャラについて考えている」人もいれば、「好きなキャラを聞かれたら答える程度」の人もいる。
健全かどうかは、恋愛対象によって決められるべきではない
「人は人を好きになるもの」という価値観は、もはや古い。
そんなこと言いだしたら、アニメや漫画のキャラクターに「かっこいい/可愛い」「なりたい」「ムラっとくる」といった感情を持ってはいけないということになる。
好きとは、一時的な感情を指すことが多く、一瞬でも感じたら「好き」としてカウントされることになるから。
問題となるのは、「何を好きになるか」ではなく、「問題なく現実の生活を送れるか」にある。
例えば、高3になる娘がいるとする。もし彼女が、「実は年上の人と付き合ってるんだ。ちゃんと働いてるんだけど、たまにドラッグをやったりするの」と打ち明けられたら、「そんな不健全な付き合い認めん!」と一蹴するだろう。
ここで「不健全」であると判断するのは、「ドラッグをやっている」点。
つまり、相手が3次元に生きる人間であっても、「現実の生活に支障をきたす」可能性がある相手と恋愛することはダメであると考える。
反対に、2次元キャラをパートナーとし、ちゃんとした現実生活を送れている人もいる。
主観的な自分とは別に、零さんの目線で客観的にものを見るようになりました。
最近は何かを始めるときにダラダラしなくなったほか、孤独感を感じなくなり精神的にも安定したと話します。
「彼」を意識することで、この人は仕事でも、プライベートでも、より充実した時間を過ごすことできると語る。
この人と一緒に働いている人からすれば、「以前より仕事ができるようになった」と感じるだろう。
また、この人は自分のようなフィクトセクシャルに悩む人たちから相談を受ける活動もしている。
フィクトセクシャルとラベリングされたこの人の方が、自分の家庭さえ良ければ良いと考える「健常者」よりも、何倍も社会に必要とされている。
「健常者」であることがそんなに偉いのか?
「健常者」であることだけで、マウントを取る時代は終わった。
今後、「セクシャルマイノリティの方が、経済的にも精神的にも幸福度が高い」という調査結果が出る日が来てもおかしくない。
結局は、「自分の幸せを自分で定義し、実現できるかどうか」。
そのように考えれば、「誰(どれ)を好きになるか」は重要ではない。
「●●愛者」のように、ラベリングすること自体を批判するつもりはない。
だが、そんなことをしても、自分の幸せにはならない。
そんなことをしている暇があれば、自分が好きだと感じる人(もの)に愛や時間、お金をかけるほうがよっぽど生産的ではないだろうか。