けしからん!?アニメを倍速で見るのはアリか?
「丹精込めて作った作品を倍速で見るなど、けしからん!」
「いやいや、倍速で見た方が効率的でしょ」
度々見かける「倍速アリナシ論争」。
姉妹店「飛ばし見論争」も賑わいを見せる。
どちらの言い分も分かる。
ただ、こうした議論には「全ての映像作品を一緒くたにしている」という問題点があると思う。
今回は、その辺のことを書いていこうと思う。
ちなみに、自分は「倍速も飛ばし見もアリ」派。
作品とコンテンツの違い
まず、自分はアニメや映画などの映像制作物には「作品」と「コンテンツ」の2種類があると考える。
それぞれの違いは、以下の通り。
名称 | 作品 | コンテンツ |
動詞 | 味わう | 消費する |
キーワード | 不便さ | 利便性 |
特徴 | 分かりにくさ | 分かりやすさ |
楽しみ方 | じっくり | 手っとりばやく |
不便さを味わう「作品」、効率よく消費する「コンテンツ」。
対照的な特徴を持つ両者。
当然、楽しみ方も全然違う。
作品とコンテンツのどちらが良い/悪いと考えることほど、不毛なものはない。
ここでは、それぞれの魅力について考えてみようと思う。
作品の魅力
作品は、不便さを楽しむものだと考える。
純文学は、その典型。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
活字嫌いからすれば、「なげーよ!」と一瞬で本を閉じてしまうだろう。
乱暴に要約すれば、「どんな人でも生きづらさを抱えながら生きている」的なこと。
235文字が、たったの22文字に!
確かに短くなった。
この22文字の冒頭だったら、読み続ける人は増えるかもしれない。
だが、「作品」の魅力は不便さにある。
堅苦しい語彙や回りくどい表現こそ、作品が持つ魅力。
特に、あえてセリフを当てて注目させないようにしている例として、『無職転生~異世界行ったら本気だす~』。
冒頭2分間、複数のキャラクターによるセリフが途切れなく流れる。
主人公の死を伝えるだけでなら、ぐしゃぐしゃになった車や心停止したモニターだけを映せば済む。
だが、この作品では敢えて「喋らせている」。
それは、「セリフがない=重要ではない」と考えて飛ばされないようにするため。
では、何を見てほしいのか?
当然、映像。
特に、手の込んでいると感じるカットを3つ紹介。
まずは、主人公の顔面。
水が眼球に落ちるが、瞼は閉じない。
つまり、かなりヤバい状況を伝えている。
2つ目は、電柱。
見逃してしまうかもしれないが、斜めに傾いている。
その直前にグシャグシャになった車が映っている。
この交通事故がいかに大きなものだったかを伝えるために、敢えて傾いた電柱を映し出している。
最後は、水滴。
目が映っているのが分かるだろうか?
2倍で見ていたら、まず確認できないだろう。
正直、タイトルと病院のシーンだけで、主人公が死んで転生したことは伝わる。
だが、敢えてセリフ量を増やし映像を注視してもらおうとしている。
手の込んだ冒頭に気づくのは一部だろうが、没個性のレッテルを押されがちな「異世界転生モノ」との違いを伝えようとしている。
事実、自分はこれらに気づいたとき「じっくり見よう」と思った。
先に挙げた純文学の堅苦しい語彙や表現も、いわば「間」。
間が「いとをかし」な状態を生む。
「作品」的アニメを倍速で見ると「間」は消えてしまい本来の魅力を消しかねない。
コンテンツの魅力
コンテンツの最大の魅力は、分かりやすさ。
こんな興味深い記事を見つけた。
2020年8月に放送された『ヒーリングっど♡プリキュア』と『ミュークルドリーミー』のセリフ量を数えてみたという内容。
結果として、『ミュークルドリーミー』は『ヒーリングっど♡プリキュア』の約1.8倍のセリフ量があったとのこと。
このセリフ量の差からは、差別化+コンテンツ化にあると考察。
後発の『ミュークルドリーミー』は、先駆者であるプリキュアとの差別化ポイントが必要。
「美少女変身モノ」が溢れる中で、キャラデザや設定、世界観でオリジナル要素は難しい。
そこで、考えたのがスピードの差別化。
実際に『ミュークルドリーミー』を見てみたが、要少女向けのアニメにしてはかなりテンポが速い。
青年男子をターゲットにした「学園萌えアニメ」で見られるようなスピードで繰り広げられる掛け合いが見られる。
シリーズを通した固定ファンがいるプリキュアシリーズは、これまで通りのおっとりとしたテンポを貫き、新興作品である『ミュークルドリーミー』は「高速化」するユーザーの情報処理力に合わせてテンポを上げる工夫をする。
損害保険ジャパンが実施した調査が、その裏付けになりそうだ。
倍速視聴する割合が最も高いのはZ世代(1990年代後半生まれ)。
また、Z世代は1.5倍速が最も快適に感じると回答。
他世代の約1.2倍のセリフ量をストレスなく理解していると判明した。
また、音楽シーンでもユーザーの「イラチ化」が見られる。
唱和や平成の曲は、10秒を超える前奏があるのが当たり前だった。
平成を代表する『Bz』や『L’Arc~en~Ciel』などのロックバンドの曲は、たいていギターソロから始まる。
だが、令和のヒット曲を見ると、前奏がないケースが多い。
象徴的なのが、YOASOBI。
『夜に駆ける』『群青』『怪物』も、前奏がない。
特に、『夜に駆ける』はサビから始まる。
YOASOBI以外にも、緑黄色社会『Mela!』やAdo『新時代』など、大ヒット曲は「冒頭にサビを持ってくる」という共通点が見られる。
作品とコンテンツの見分け方
自分はアニメを見る時、以下の手順で「作品」と「コンテンツ」の区別をしている。
- 最初の10分は1倍速で見る
- セリフ詰め込み型→コンテンツ、間を使う型→作品
- コンテンツの場合、1.5倍で見る
- 第2話、冒頭5分1倍速で見る
- 2と同じ
- 5に従って、それ以降のスピードを決める
第1話は世界観や全体の説明するため、セリフ量が増える傾向にある。
なので、第2話の冒頭5分も1倍速で見るようにしている。
コンテンツが増えていく
今後、コンテンツ的な作品は増えていく。
それは、「効率こそ全て」という情報社会の価値基準が変わることがないから。
当然、そうしたユーザーニーズに合わせてアニメ制作が行われる。
冒頭5分ほとんどセリフがない作品は、ある意味「放送事故」扱いされるだろう。
こちらの記事で書いたように、日本アニメは「制作委員会方式」を採用している。
売上しか考えていない出資者の「セリフをたくさんつけて分かりやすい」アニメがどんどん作られる。
「作品」的なアニメを作るには、ジブリやカラーのように自分たちでお金を出るしかない。
しかし、それができる制作会社はごく一部。
となると、旧来の方式でせっせと「コンテンツ」的アニメを作りながら、自主制作のための力を溜めるしかない。
しかし、「作れば作るほど赤字」という現状があるから、それさえもできない。
MAPPAのように、「制作会社+出資者」という存在が少しずつ増えることを待つしかないのが現状だろう。
没個性的な「コンテンツ」的アニメが増えることは間違いない。
だからと言って、コンテンツ的な作品が全てがクソということではない。
もし、情報過多なアニメに疲れたら、開き直って過去の「作品」的アニメをじっくりと味わうというのも一つかもしれない。