ルッキズムとは?アニメ作品と絡めてわかりやすく解説
年末が近づいてきた。
すっかり年末の風物詩となった「新語流行語大賞」。
「知らんけど」や「丁寧な説明」など、今年に限ったわけではない一般語も紛れている。
中でも、目を惹いたのが「ルッキズム」。
フェミニズムやエコテロリズム同様、次々と出てくる「●●イズム」。
時代に遅れない程度には、理解しておきたい。
ルッキズムとは
一応、辞書的な説明を確認しておこう。
ルッキズムとは外見に基づく差別または偏見。主に人間が視覚により、外見でその価値をつけることである。「look+ism」であり外見至上主義、「外見を重視する価値観」との意味でも使われる。「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」など、外見に基づく蔑視を意味する場合もある。
つまりは、「外見が良いと得して、悪いと損する」ってことかな?
小さい頃から「人を見た目で判断してはいけない」と、言われた記憶がある。
でも、そう教えてくれた大人たちは、テレビを見て「左から2番目が一番かわいい」「この女優さん劣化したな」と、口にしていた。
特に、印象に残っているのが小6の担任。
その人は、お気に入りの生徒を名前で呼ぶタイプの教師だった。
運動ができて顔が良い生徒を名前で呼ぶ、そんなことは小学生にでもわかった。
問題を起こしがちな男子生徒がいたが、足が速くルックスが良かったので名前で呼ばれていた。
自分は幸いにも(?)名前で呼ばれていたが、全然嬉しくなかった。
「自分はエコヒイキを受けている」と公言しているようで、特に名字で呼ばれている人たちの前では気まずかった。
15年経った今も、そうした大人が教壇に立っているかは分からないが、外見によって差別を受けるという経験は、子供から大人まで誰もがしてきていると思う。
ルッキズムが目指すものは?
先ほど書いたように、自分は「外見によって差別されることのない社会の実現」を願っている。
冷遇される側も、厚遇される側も、それぞれ不快な想いをする可能性があるからだ。
では、どうすればそのような社会を実現できるか。
自分の頭では、以下の3つが浮かんだ。
- 視覚的な情報を排除する
- 外見を統一する
- 中身だけを評価する
そして、それぞれの例を挙げると
- アバター、顔出しNG
- クローン人間
- 評価者に委ねられる
現在の社会では、3「評価者に委ねられる」が実施されている。
だが、本来不要な外見込みで評価されていて、それによって不当な評価を受けている人がいる。
「ルッキズム」が取り上げられるのは、3番目のやり方が問題だ気づいたことによる。
では、残るは1か2。
考えるまでもなく、2「外見を統一する」は無理。
「みんなが同じ顔で体型だったら差別なんて生まれない」
こんなマッドサイエンティスト的な思想は、真っ先に排除される。
残るは、1「視覚的な情報を排除する」。
このケースは、割と現実社会でも実践されている。
YoutubeでのVtuber、AdoやAimerなど、顔出しをしていない(していなかった)アーティストは存在する。
また、漫画家や小説家は素顔を公開していないケースがほとんど。
むしろ、「顔を出すアーティストは二流」という風潮があるくらいだ。
これだけ聞くと、顔出さなくても社会は回るのでは?と思える。
だが、一度も顔をさらし合うことなく完結する仕事はどれくらいあるだろうか。
中には、コロナ同時入社だから、直の上司以外顔を合わせたことがないという社会人もいるかもしれない。
管理系の職種であれば、それで完結するかもしれない。
だが、対面が要求される営業職はどうだろう。
リモート商談も可能だが、成約率を考えると非対面での活動がベター。
つまり、社会全体から視覚的な情報を排除するのは現状不可能。
ただ、顔を見せる必要のない一部の職種や役割では可能かもしれない。
だが、顔も知らない相手を採用することに、誰しも抵抗は覚えるだろう。
突き詰めていくと、現実社会で完全顔出しNGは実現できない。
アニメ×ルッキズム
ここが、アニメブログであることを忘れていた。
せっかくなので、「アニメ×ルッキズム」について触れよう。
アニメは、まさにルッキズムを体現した存在だと言える。
イケメンや美(少)女がいないアニメを想像できるだろうか。
キャラ全員が、RPGでの初期設定デザインだったらどうだろうか。
自分たちは、アニメに完璧な外見を求める。
それは、「リアルでは、外見的な差別を完全になくすことができない」という認識から来ている。
最近では、恋愛しない若者が増えていると聞く。
その1つの理由が、2次元で満足してしまうから。
2次元キャラには、シミもフケもホクロも目ヤニもほうれい線も存在しない。
3次元の人間には、少なからず存在する「不純物」が存在しない。
いつ見ても、常に完璧な容姿を保っている。
「そりゃ、そうだけど。ちょっと欠けてるのが人間らしさであり愛すべき点じゃないか」
「イマドキの若い子は」が口癖の人たちからは、そのような反論が聞こえくる。
しかし、彼らの言い分は事実。
「どうして、パーフェクトな外見を持つ対象と恋愛してはいけないの?」という結論に至っても不思議ではない。
実際に、2次元キャラを結婚相手に決め夫婦生活を送る人もいる。
コロナの巣籠りも相まって、アニメや漫画人気は高まった。
行動制限の解除につれて、生身の人間と対面する機会も戻る。
だが、外見的な無欠さを求める「美の仮想化」は、今後さらに加速するだろう。
要は、ルッキズムって?
最後に、今回の学びをおさらい。